~流産のお話~育メンパパ”とう”の記憶 part19
こんにちは 育メンパパ“とう”です。
今回はちょっと悲しい思い出を書きます。
僕・奥さん・赤ちゃん”こっこ”3人の生活が始まり、いろいろあった半年が過ぎました。
そんな時、僕はふと思い出しました。
その時点から約3年前・・・
今から約6年前のことです・・・
最初の方に書きましたが実は僕らもなかなか子どもを授からず、ようやくできた赤ちゃんが一度流産してしまった経験があります。
その時のお話を・・・
ある朝、
こどもが出来たとの奥さんからの報告を受けようやくできたね!と、2人とも大喜びし、早速設備の整っている総合病院へ紹介状を書いてもらい、奥さん”なっこ”が一人で病院に行きました。(僕は仕事でした)
でもそこでお医者さんに言われたことは、
「心臓が動いていないようです」
昼、僕の携帯に奥さん”なっこ”から電話がかかってきました。
泣いていました。
電話がかかってきたときは何が起こっているか僕は分からなかったのでどうしたんだろうと思っていましたが、奥さんは話せる状態ではありません。
ショックで泣きじゃくっていました。
ようやく出た一言は「あかちゃんが・・」でした。
僕は車で2時間近くかかる場所に仕事でいたので、すぐ会える状態ではなかったのですが、仕事を切り上げ奥さんのもとへ向かいました。
僕は赤ちゃんのショックよりも奥さんの心配の方が大きかったので、悲しみよりも奥さんを元気つけてあげなきゃいけないという思いでした。
一緒に河原に座って話しました。何時間も。
でも何と言っていいか全然わからず、二人で座って言葉少なく話したのを覚えています。
とってもつらかったけど、未来を向けるようにあえて明るく振舞いました。
お弁当を一緒に食べていると、大きなカラスがやってきて僕のとんかつをとっていきました。2人で笑えました。カラスに感謝したのを覚えています。
一週間後もう一回来てね。とお医者さん。
再診をしてもらいましたが、やっぱり赤ちゃんの心臓は動いていません。
お腹の中で、約2カ月ちょっとの命でした。
当然ですが、奥さんはショックが大きく涙がたくさん流れています。
奥さんの心が沈んでいると僕に伝わってきました。
その日はなんとか寝ましたが、流産後の手術がとてもつらかった。
子宮の中にいる赤ちゃんをだしてあげないといけないとのことで奥さんは1泊入院で、手術を受けました。
痛い、つらい、悲しい、どうにもならない思いがいっぱい。
悲しい気持ちでいっぱいです。
なんとか奥さん”なっこ”を元気づけたい。
でも、なかなかできないんです。
なんて言ったらいいかどうしたらいいか分からない。
そうこうしているうちに日常の生活に戻りました。
それから約1年間が、今までの約8年の結婚生活で一番辛い時期になりました。
奥さんは病院に行って診断こそしていませんが、少しうつっぽくなってしまいました。
奥さんも働いていたのですが、僕の方が仕事が遅いため、帰宅すると奥さんがいます。
ほとんど毎日のように帰ると泣いていました。
元気がない、あんな温和な”なっこ”が怒りっぽくなっている、夜ちゃんと眠れていない、楽しい雰囲気が全然ない。
こどもを連れている人、妊婦さん見るとなにもその人は悪くないのに辛く悲しい気持ちになり、赤ちゃんがいなくなってしまった事、赤ちゃんが本当にまたできてくれるのかなど、いろんな感情が沸き上がり、家に笑顔が少なくなりました。
毎日そんな状況でした。
毎日です。
数か月は何とか元気づけようたくさん話をしました。
これからどうするか。どうやったら元気になれるか。楽しい将来をどう作るか。こども作るのを頑張るかどうか。。
いろんなことを話しました。
でも奥さんはなかなか元気になりません。
僕の感覚では、状況は悪くなっているようにみえました。
もちろん僕が支えていく覚悟はありました。
僕なりにではあるけど、頑張っていたと言えます。
でも仕事から遅く帰って、毎日毎日その状況。
何を言ってもどんだけ話を聞いてあげても全く聞き入れてもらえず、、
泣いたり悲しい顔だけを見ていました。
毎日です。
僕は家に帰ることがいやになってきました。
仕事が終わっていても、外で奥さんが寝るのを待ってから帰るようになりました。
そして、ほとんど喧嘩なんてしない僕らなのに喧嘩が増えました。
一度、僕が切れてしまったことがあります。
いい加減にしてくれと。。
ずっとこのままなのかと。。
俺はどうしたらいいんだと。。
もう前を向く気はないのかと。。
分かっています。
ダメだと自分でもわかっています。
でも耐えられませんでした。
一方的に切れて、夜は車で寝ました。
なるべく明るく振舞っていましたが、正直、結構限界でした。
そんなある時、この状況を二人で考え何とかしたい。
何か楽しいことをしよう。
どこかに行こうと決断しました。
海外旅行に行こう。
そんなにお金はないのに、お金をしっかりかけて連休中にサイパンにいきました。
とっても楽しかった。
なんかいろんないやなこと全部忘れられたような気がしました。
奥さんも久しぶりにいい笑顔を見せてくれました。
今でもその時の写真を見返します。
その冬、妊娠が発覚しました。
また流産してしまうのではないかという怖さがありましたが、ほんとにうれしかったです。
なによりも奥さんが元気になるかなという喜びが大きかったです。
二人で喜び、笑顔が戻り、無事生まれたのが長女”こっこ”です。
いなくなった赤ちゃんが教えてくれたこと
・子どもが生まれてくることは奇跡
子どもを授かること、無事生まれてくること、育ってくれること、全部奇跡だと思います。
・お腹の中から赤ちゃんがいなくなることのお母さんの気持ち
奥さんの辛さは分かってあげているようでわかってあげられなかった。ずっと一緒にいる僕でも、奥さんのその気持ちを分かってあげられないことがある、ということが分かりました。
・そんな奥さんを元気にしようと頑張らないで
元気にしたい!と思って僕が頑張ると、奥さん自身が悪いことをしたみたいな感情になってしまう。
いなくなった赤ちゃんから僕が学んだこと
1.生まれてきたことに感謝すること。
子育て・育児をする中で、腹の立つこともあるし、しんどいことばかりだけど、たま~にでいいので、あ~生まれてきてくれてよかったと感じるようにこどもを抱きしめています。
2.奥さんの辛さを分かってあげようと努力するんじゃなくて待ってあげること。
その時、奥さんは僕に何かしてほしかったんじゃなかったんだと思います。どうにかしてほしいんじゃなく、ただ一緒にいてほしかったんじゃなかったのかなと今になって思います。本当に本人しかわからない痛みがある時は、いい意味でほっておいてあげるように心がけています。
3.辛いときは一緒に楽しみを見つけること。
楽しいことを強要するんじゃなくて、一緒に楽しみを見つけていきたいです。
日々いろんなことがあるけど、
いろんな経験を通して、
どんなことでも幸せを感じれるようになれるといいですね。
続きは次回!!!
今日の写真は、
次女“ひっこ”2歳♀
【言葉はいらない ただただかわいすぎる】