~2歳の言葉~育メンパパ”とう”の育児日記 part43
こんにちは 育メンパパ“とう”です。
平日の仕事帰りの話。
僕は3人子どもがいる。長女4歳、次女2歳、長男0歳だ。
次女のひっこはまだ2歳。彼女はまだ話すことが上手くはない。覚えたての日本語を最大限に使い気持ちを表現してくる。それがなんとも愛らしい。先日もこのようなやり取りがあった。
ひっこ「とーたん」
僕「なーに?」
ひっこ「とーたん とーたん」
僕「なーに?」
ひっこ「ひっちゃ けよぉ った けよぉー た」
?? ひっちゃ けよぉ った けよぉー た
やばい。わかんねー。ヒントが少なすぎる。「ひっちゃ」というのは自分の名前というのは分かる。 しかし、中盤から後半にかけてまったく見当もつかない。
彼女は少ない日本語のみでおまえたちは理解できるのか!と僕たち大人を試している。分からないことは分からないままあきらめることもしばしばあった。しかし、分からないままあきらめるということは僕の父親としての全てを理解してあげるという面目は丸つぶれ、更にはいやいや期が重なり、激しく泣く、泣く、泣き叫ぶことになる。だから今回は負けないと頭をフル回転させた。親として、父親として、男として僕は彼女の言ったことを理解すべく、彼女の涙を流させないために推理を開始した。
まずは後半の「た」は「何かをした」という事だと推測。食べた・飲んだ・言った・寝た・起きた、など何かをしたときは最近彼女の中で、全て「た」で統一され始めたことは気付いている。
「た」→何かをした。
次に、「った」。これも①の何かをしたということだろう。小さい「っ」が入っているが愛嬌として問題ないかと思われる。
「った」→何かをした。二語推理完了。
ここまでを振り返ると、
ひっこは何かを〇〇した、何かを○○した
ということ。何かをしたという事実を僕に伝えたかったのだ。
さぁ問題は【けよぉ】だ。これが最大の難関であり、解決の最大の糸口、ゴールへの一筋の光、彼女が涙を流すか流さないかを決める最後の砦、となることは明らかだ。 僕は考えた。本気で考えた。けよぉ・・・分からない。見当もつかない。けよぉ・・・なんだ。けよぉってなんだ。僕は奥さんに聞いた。
僕「けよぉってなに?」
奥さん「わかるわけないじゃん」
そりゃそうだ。いきなり聞いてわかるわけがない。ん?そうか!彼女の行動を思い返してみればいいのだ。奥さんに聞いてみることで気が付いた。彼女は何かをしたってことを伝えたいのだからそれまでの行動を思い返せばいい。しかし、彼女が「ひっちゃ けよぉ った けよぉー た」と言ったのは僕が仕事から家に帰った後すぐだった。それまでの経緯は分からないので、僕は奥さんにヒントを求めた。
僕「ひっこ、さっきまで何してたん?」
奥さん「ん~別に、保育園から帰って手を洗って長女こっこと遊んでいたよ」
ふむ。やったことは手を洗った事。むぅ。けよぉ・・。横にいた長女が口を開いた。
長女「そいえば、ひっこが手を洗う時に顔も洗ってたよ」
それだ!
Answer.
「ひっこちゃん かお あらった かお あらったよ」
ひっこは僕に自分で顔を洗ったことを褒めてほしくて言ってきたのだ。
僕は答えにたどり着いた嬉しさから、彼女が顔を自分で洗ったことに対して必要以上に次女を褒めちぎった。ひっこすごいじゃん。自分で洗えるとは。なんてすごい2歳なんだ。ひっこは何でもできる。天才だ。
褒めすぎた結果毎日何度も何度も自分で顔を洗うようになり、ほっぺのかさかさがどんどん進んできている。
今日の写真は、
長男”よう”0歳♂
【長男VSメルちゃん】